3.11東日本大震災から7年。防災にまた今度はない。



今日は3月11日。

東日本大震災から7年。

あの日、何をしていたか。

当時、東京にいなかった私にとっては、なんてことない普通の1日だった。

2:45までは。

2:46の瞬間は、車を運転していた。

私自身は何も揺れを感じなかったが、聴いていたラジオの「おっと。少し揺れましたね。みなさん、大丈夫でしたか?何か続報が分かったらまた読み上げます。」という女性DJの声を聞き流していた。

その後、車から降りて、しばらく仕事をして、また次の得意先へ行った。

優しくて明るい笑顔の得意先に到着。

のほほんと挨拶をしたら、「ちょっとこれ見て!!」と緊迫した様子でTVを見せられた。

そこには、生放送で金切り声のアナウンサーの声と車、家、船、木、、、、ありとあらゆるものが津波で流されていく映像だった。

私は、呆然とTVを見つめ、しばらくは思考停止で何も声が出せなかった。

「え・・・?」と得意先に回答を求めるように見つめるが、お互い無言。

「あなたの実家、東京じゃなかった?家族は大丈夫なの?」と言われ、ハッと我に返った。

急いで家族に電話する。

何もありませんように・・・。

無事でいますように・・・。

電話をコールするが、なかなかつながらない。

何度かけてもつながりにくくなるだけと分かりながらも、何度もかけてしまう。

やっと電話がつながった。

時間にしても5分も経っていないが、すごく長く感じた5分だった。

元気で落ち着いた兄の声が聞こえる。

家族はみんな無事だと言う。

バラバラの場所にいて、まだ会えていないが、とにかく全員無事と聞き、ひとまず安心した。

得意先にひとまず今日は帰社することを伝え、急いで車で会社に戻る。

TVの前から一歩離れると、そこには普通の景色が広がっており、さっきまで見ていたものはやっぱり作りモノじゃないかという気すらしてくる。

でも・・・夕方になり、夜になり、普段TVがついていない会社でもTVがつけられており、事態は普通ではない。いや、かなりかなりかなり深刻だということが分かってきた。

何かできることはあるのか・・・。

遠くはなれた場所にいる私ができること。

会社からの要請で、非常食を買って、被災地に送ることになった。

スーパーをいくつか回って、ラーメンなど非常食を買い揃えて、社からダンボールにつめて送る。

こんな時に何を買えばいいのか分からず、チキンラーメンや味噌ラーメン、醤油ラーメンなどを2袋ずつ買って、先輩に見せた。

すると先輩から「こういう時は、同じ種類のものをたくさん買ってきたほうがいいんだよ」と言われる。

考えればそうだ。

同じ鍋でチキンラーメンと味噌ラーメンと醤油ラーメンを作るわけにいかない。

地震から数日経ち、新聞やTV、ラジオで連日の被災地の状況が分かってきた。

おびただしい数の死者、行方不明者の文字。

日に日に増えていく。

被災地の現状を実際に目で見たのは数年後のことだった。

何もなくなった、だだっ広い場所を見て改めて涙が溢れた。

ここには人の生活があったんだ。

それがこの大きな海に飲み込まれたんだ。

自然は美しい。

自然はありがたい。

でも、自然は怖い。

人間が生まれる何億年も前からこの世にあるもの。

人間が敵うはずはないのだということを改めて思い出させられた。

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私たちは、地球に生きている限り、絶対に安全で絶対に無事な場所というのはない。

地震が起きれば、普段はくつろげる家の中だって、あるゆる家具が脅威となって吹っ飛んでくる。

重い家具達が地震の力で吹っ飛んできて、頭でも直撃すれば即死してもおかしくない。

よく聞く言葉だけど、備えあれば憂いなし。

憂いがなくなることはないと思うけど、備えなければ憂いしかない。

やっぱり備えることは大切。

家具の転倒防止をとめたり、防災バッグを作ったり、いざとなった時の家族の連絡場所を決めておいたり。

また今度、と言っておきながら、何年も先延ばしにしてきた。

でも、子どもが生まれて、すぐにやった。

やっぱり家族みんな健康で元気で長生きしたいから。

少しでもその可能性が上がることならやっておきたい。

全部やっておきたい。

防災は思い立った時にやる。

それが役に立つ時なんて来てほしくないけど、何もないのが一番だけど、でもやっていなかったことを後悔した時に手遅れなんて絶対に嫌だから。



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